仮放免者の会10年のあゆみ

仮放免者の会事務局長 宮廻満

 (2020年8月の講演会の記録です)

 

都合のいい外国人労働力を生み出していた

 よろしくお願いします。仮放免者の会の事務局長をやっています宮廻(みやさこ)と言います。

 「仮放免者の会」は2010年に当事者たちによって作られました。ただやっぱり支援者の存在も必要なんで、私たち支援者が仮放免者の会の事務局を作っています。私はそこの責任者をやらせてもらっています。

 まずさっき永野さんから詳しい説明がありましたけれども、ちょっと1点だけ補足しておきたいことで、バブル景気の頃に、外国人労働力が必要となって、その中ではオーバーステイで、観光ビザで入国して、そのままオーバーステイで働く人が増えた、いうことで説明がありました。そのやり方なんですけど、例えば今だったら観光ビザで日本に来ようと思っても、空港での審査で、どこに住むのかとか、所持金がいくらあるのかとかそういうことを厳密に審査して、これは観光目的じゃなくて働くのが目的だなーと思ったら、観光ビザを出さないわけですね。そういうことをバブルのころはやってなかったんですよ。誰でもOKというか、具体的には、他国に行こうと思えば、査証、いわゆるビザが必要なんですけれども、東南アジアとか南アジアの色んな国と日本政府が、査証免除の協定を結んだんです。

 たとえば今日参加する、あとで話してもらうAさんにしても、査証免除国だったんで、いちいちバングラデシュにある日本大使館に行ってビザ(査証)をもらってそれからチケット買って、日本に来るって事をする必要がなかった。チケット買って成田とか羽田に着いちゃえば、そこで観光で来ましたといえば、観光ビザが出されるという形です。明らかに、さっきバックドアという説明がありましたけれども、都合のいい外国人労働力として、オーバーステイ労働者を生み出して働かせていたということです。

 ちなみに今日話してもらうAさんは、1988年まさにバブルまっさかりの時に、実際Aさん自身政治活動をやってて、命を狙われたりとかして逃げてきたんですけど、あの頃は難民申請とかしなくてもいくらでも働き口があったし、それなりに稼ぐこともできたし、そんな中でオーバーステイの人たちはどんどん増えていくということです。ただ数字で説明ががありましたけど、93年に30万まで行きますけれども、結局多くの人は出稼ぎで来ているわけなんで、一定稼いだら帰っていく、ということで減っていく。でもAさんのような、国に帰ったら命が危ないとか、もちろん日本人と結婚した方とか、帰るに帰れないという中で残っているということですね。

 

2009年からの強硬策と牛久ハンストの闘い

 その後、さっき説明があったように、不法滞在者5年半減計画が実行されて、それが予定通り成果を上げて、2009年の7月に入管法改正がありました。ここで強硬策がまず出てくる。そういう中で当時もその長期収容、再収容、あるいはスラジュさんの事件のような強制送還が相次ぎました。

 その中で、関東では収容所と言った時に、東京入管とか横浜入管にもありますけれども、収容が長期化すると、茨城県牛久市にあります東日本入国管理センターに移されるんですね。通常私たちは「牛久」と呼んでいるので、「牛久」という言葉で説明させてもらいますけど、牛久ではそういう長期収容とか再収容が続く中で、2010年の2月にブラジル人が自殺した。翌3月には成田空港でスラジュさんが殺害された。今度は4月には牛久で韓国人男性が自殺しました。そういう中で牛久の入管に収容されている人たちの中では、自分で自分を殺すのか、あるいは入管に殺されるのか、二つに一つかないないんじゃないかと言う絶望的な状況に置かれてるわけですね。

 その中ででもなんとかしなきゃいけないということで、中にいる人たちは相談して、この2010年の5月10日から、60人の男性たちが集団でのハンガーストライキを行いました。

 入管の施設の中で、国籍を超えて、あるいは在留理由、自分は難民だとかあるいは日本人と結婚してる、そういう国籍とか在留理由をすべて乗り越えて団結した闘いがはじまった、ということころです。

 

会の結成と再収容のストップ

 これが「仮放免者の会」が作られる出発点になるんですけど、当事者たちが団結しはじめたと言うこと。このハンストは大成功をおさめて、その後どんどん、A さんもそうなんですけど、中にいた人達が、長期収容されている人達が仮放免になりました。しかし再収容は止まっていなかったんで、あの時インド人の男性と バングラデシュ人の男性、いずれも牛久から仮放免になって、2ヶ月後には、ふたりとも難民申請をしてるんですけども、難民申請の結果が出て、難民として認めません、また収容しますということで、東京入管で収容されてしまったんですよ。そういう意味で仮放免になった人たちも、全然安心できないっていうか、とにかく再収容をストップさせようということで、「仮放免者の会」を作ろうという話になりました。そういう経緯の中で2010年の10月に「仮放免者の会」を結成したというところです。

 「仮放免者の会」が結成されたというのは、当事者の皆さん、かつて牛久にいてそこからから仮放免になった人たちが団結して作ったというところです。ちなみにトルコのクルド民族の方、だいたいこの方たち難民申請してますけど、この人たちと、あとミャンマーの方々、この2つの国、あるいは2つの国籍の方達は、あまり参加してないです。なんでかっていうと、もうすでにその段階で2010年段階で、クルド人の人たちはクルド人の人たちの組織をつくっていて、クルド弁護団という弁護団も付いている支援者たちもついている。またミャンマーも同じです。当時、昔はビルマだったんでビルマ弁護団ですけども、弁護団があり、当事者たち団体もあり、支援者も相当数ついていたので、この2つのグループからの参加は少ないです。でもそれ以外の、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の人たちは会員として集まっています。ちなみに今現在で言うと会員は300人ほどです。

 「仮放免者の会」を結成して、入管内と入管の外で闘いを行う中で、2011年の2月には再収容がストップしました。難民の結果が出ても、あなたは難民として認めませんよって通知が行われても、仮放免状態を続けて、でその2週間の更新が2回続く中で、難民申請は何回でもできるので、2回めの難民申請を出せばもう再収容はしない。ちょっとそれを怠っちゃうと、2週間2週間で1か月後に再収容されちゃうんですけれど、基本的に再収容をストップすることができました。だからこの頃っていうのは、強硬路線からちょっと柔軟路線に入管が転換したしてたんですね。仮放免者の会の人たちも、自分たちの闘いに対して自信を持ってて、再収容はストップしたんだから、次は在留特別許可や難民認定を求めようと、当時はやっていました。

 

2012年からの強硬路線

 それがまた強硬路線の方向に転換していくんですね。2012年の12月に安倍内閣が復活してきました。そこからガラッと変わって、強硬路線の方向にまた徐々に向かい、かつそれが、永野さんの説明にもありましたけれど、いじめてもいじめても帰国しないからもといじめよう、ということで進んでいき、2015年6月には、仮放免者を減らせということで、入管、当時は入管局ですけど、局長から通達が出されて、仮放免者を取り締まる、と。2015年までは仮放免者が仕事をしているのが入管にわかったとしても、それを理由に再収容とかなかったんです。いわば黙認しているという状態ですね。入管職員が当時言っていたのは、働いてくれた方が悪いことをしない、安心だよ、いうことで、黙認するということだったんですが、2015年9月の通達からは、就労を見つけたら再収容、ということで、非常に厳しいように変わってきました。9月18日付でこの通達が出て、仮放免者は、さっき基本1ヶ月ごとの更新だってお伝えしましたが、東京入管の場合仮放免者の数が多すぎるから、2013年の5月以降ですね、難民認定申請をしている人、裁判中の人は、2ヶ月ごとの更新ということになりました。中には3ヶ月の更新の人もいます。

 9月18日の通達が出て、10月1日以降、延長に行ったときに、仮放免許可書ていうの皆さん持っているんですけれども、許可書の裏に、就労を禁止するという1文を、言葉はちょっと違う言葉ですけれども、全員に書き込むようになりました。3カ月かけて、東京入管においても、東京入管が管轄する仮放免者全員に対して、仕事しちゃ駄目だぞということを通知していくわけです。そして実際明けて2016年になってから、就労していないかどうかを嗅ぎまわって、就労が発覚したら、いつもその場では捕まえないんですけども、仮放免許可が2ヶ月なら2ヶ月、1ヶ月なら1ヶ月先になっているので、そこでで入管に出頭した時に、捕まえて再収容するということになりました。

 でも実際は私が知ってる(仮放免者の会の)会員の人たちは、もう自分が捕まるってわかってても逃げるわけにいかないんで、この人たちは出稼ぎでもなんでもないわけなんで、日本に住むしかないから、在留資格を求めてるわけなんで、次に(入管に)出頭に行けば捕まるって分かっていても、出頭をする。で、もう1回長期収容に苦しめられたというところです。

 

最低限まず在特を

 「仮放免者の会」10年間やってますけれども、その中で会員でビザもらえたのは80人くらいです。ちなみに難民認定、難民として正式に認定された人は一人だけです。エチオピア人の方でしたけど、難民認定されれば、いきなり5年のビザがもらえる。ビザというか在留資格。在留特別許可だと1年です。また1年で更新していって1年、1年、その次は3年となっていくんですけれども、最終的には 永住権をとったり、日本国籍を取得したりとかいうことがゴールになっていきます。ただ実際うちの会員たちというのは、Aさんのように日本で長い人が多いし、別に難民認定されなくても在特で1年間のビザが出れば十分暮らしていけるんですね。でも日本に来たばっかりの人とかだったらやっぱり難民認定されないと、在特出されたってちょっと困るなってる人もいると思いますけれども。もちろん難民認定についても国際基準にならうように、ということはずっとを要求し続けますけれども、最低限まず在特を出してくれ、というところです。私からの報告はとりあえずそういうところです。